ずぼら自分会議

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習い事の出口を考える。

子供の習い事の出口に悩みます。

始めるのは簡単なのに、終わりを決めるのって本当に難しい。

 

うちの子もいくつか習い事をやめたものがあります。もちろん続けているのもあって。

いったい何が違うんだろう。そして出口として満足できるものはいったいどんなものだろうと。

 

長く続けている習い事は、お友達と一緒にやりたいからと子供が希望したものです。
今でもそのお友達と一緒にゆるーく続けています。

逆にすぐにやめてしまった習い事は、やってみたらどう?と親から勧めたものです。
もうちょっと頑張って続けてみたら?と提案したのですが無理でした。


やりたいものはやるし、やりたくないと感じたらさっさとやめる。
まぁ当たり前といえば、当たり前のことなのですが。
これが、子供目線です。

親目線だと、子供の通っている教室はとてもゆるい練習でした。
もうちょっと厳しく指導してもらえる教室に移行した方が、伸びるのではないかと思い別の教室を勧めました。2か所通っていたのですが、厳しい方は嫌とやめて、今も元の教室は続けています。

 

親は期待してしまいます。上手になったら、もっともっとと欲が出てしまいます。
でも子はそれを望んでいない。すっごく上手にならなくてもいいから、自分のペースでやりたいように楽しくやりたいのだと思います。
どうしても親はスポンサーなので、上手になるという見返りを求めてしまうところがあります。でも同時に、子供が学校とはまた違う場所で、別の社会とつながり、楽しく続けていることにも意味があるのだと考えました。習い事の教室や先生が、嫌な事からの逃げ場所になっているという話も聞いたことがあります。

一緒に習い事を続けているお友達のお母さんは、だいぶ上達したからやめてもいいんじゃないかと本人に提案したけれども続けたいと言っているそうです。

同じ習い事の別のお友達はやめたいらしいけど、親といつまで続けると決めているからやめられないと話していたそうです。
同じ習い事でも家庭によっていろいろですね。

 

習い事の種類によっても、話が変わってくると思います。
ピアノや習字やスイミングなど、できるできないが分かりやすいものは、ここまでできたら終わりにしよう。あとは教室でなくても趣味で続けようねと出口がみつけやすいかもしれません。

じゃぁこれが、バスケやサッカーやバレエやダンスだったら?!終わりがみつけにくいと思います。

 

自分のことを思い返すと、子供の頃の習い事はなんとなく続けているものが多く、今思い返すとあれは必要なかったなとか、もっとやりようがあったのではないかと考えることがあります。

 

年度替わりや、発表会や大会などの大きなイベント後に、ある程度の出口を子どもと会議するのがいいかなと思いました。

会議すると、子供のモチベーションがわかったり、もっとこんな親のバックアップが必要なのではないかと見えてきたり、習い事の振り返りやこれからを考えられるきっかけになるのではないかと思います。

親子納得できるうまい落としどころをときどき一緒に考えていくことで、満足できる出口を見つけていきたいです。